北森先生がご逝去されて1年が経ちました。
一周忌にあたる本日、北森先生を偲んで、先生の書かれた「組織が活きるチームビルディング(東洋経済新報社2008)」の内容を、読者の皆様にご紹介する形の特別編を、始めたいと思います。
なお、以下の私なりの解説や解釈は、恐らく勘違いや認識不足を多分に含んでいるかと思います。天国にいらっしゃる北森先生が笑ってお許し下さることを願いつつ、書いていきたいと思います。(2020年6月19日)
本のタイトルについて
「組織が活きるチームビルディング」
この本のタイトルをつける際に、北森先生はかなり苦心されていた。原稿が上がってきた当初は、確か「組織を活かすチームビルディング」とか「組織活性化のためのチームビルディング」とかだったかと思う。なぜ北森先生は、最終的に「組織が活きる」にされたのか。
見守る姿勢
北森先生はとても優しい方で、いつも暖かく見守っておられた。
ラーニングバリュー社が立ち上がったころ(我々がファシリテーションという言葉さえ知らなかったころ)、駆け出しの我々が生意気にも「先生、今の学生にはこういう風に教材を改良した方が受けるんじゃないですか」などと意見を言うと、「それ、面白そうだね。やってみようよ」といつも受け入れてくださった。「それは本質じゃないねぇ」とか「それは前にやってみたけど、あまり効果なかったんだよ」などとは一度たりとも言われたことはなかった。本当は40年以上の先生のご経験の中で、我々が思いつく程度のことは、何度か試してみられたことが、きっとあったはずなのに…。先生は、そうやって我々が経験しながら学んでいくことを、見守りながらゆっくりと待ってくださっていたように感じる。
主体性に依存する
また北森先生が開発された「自己の探求」プログラムのファシリテーションについて、先生は「学生の主体性に依存する」という表現をよくされていた。プログラム終了後の大学関係者とのふりかえりの場で感想を求められると、「いやぁ、学生さんに助けられましたよ」と、よく仰っていた。学生の主体性が発露するのを信じて、じっくりと見守っておられたのだろうと思う。
「“させる”はだめだよ」
ただ、一つだけ厳しく教えられたことがあった。それは「させる言葉」であった。「先生、だったら学生には○○させましょうよ」などと言うと、「“させる”はダメだよ」と即座に言われた。指摘されたのは言葉の使い方(だと私は受け取ってしまっていた)だったが、今思うと、相手に「させようとする」私のその姿勢を問われていたのだと思う。「主語は自分ではない。相手主語で考えてみよう」。北森先生がよく仰っていたことである。
使命感とやらされ感
このことから考えると、北森先生が本のタイトルを「組織が活きる」にされたのは、以下のように考えられたからではないだろうか。
本を読まれる読者は、きっと組織を何とか良くしたいと言う人だろう。そういう方は組織の悪い面に気づいて、何とかしなければ、という想いでこの本を手に取ってくださっているだろう。だが、組織のメンバーはその読者の想いをどのように受け止めるだろうか。組織を何とか良くしたい、と言う人の「使命感」や「責任感」が、メンバーにとっては「やらされ感」や「自分を否定されている感じ」に繋がってしまうこともあるのではないだろうか。
今の自分に目を向ける
言葉には姿勢が表れる。「組織を活かす」とか「組織を活性化する」という言い方には、活かす方が“主”で、活かされる方が“従”になる関係が垣間見える。先生が読者に伝えたかったのは、そういうことではなかったか。つまり組織改革を本当に願うのであるならば、「組織を活かすために私が働きかける」という姿勢だけではなく、「組織(周囲)に活かされている今の自分に目を向ける」という謙虚な姿勢の大切さを、その結果として組織が活き活きとしてくると言うメッセージを、このタイトルの込めたのではなかったか。
もしかしたら余りにも穿った考え方かもしれない。皆さんはどう思われますか?
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