教学改革に取り組む神戸常盤大学では、「主体的学修者の涵養」のために2017年度より《まなぶる▶ときわびと》(以下、まなぶる)をスタートさせました。これは全学科横断で行うワークショップ型プログラムです。臨床検査技師、看護師、歯科衛生士、保育士、幼稚園教諭、小学校教諭などの国家資格取得を旨とする専門職業人育成大学が、指定規則のハードルを乗り越えて基盤教育の時間を確保し、学生のチームビルディングをカリキュラムに導入したのはなぜか?その背景や、具体的な取り組み内容、教職員の反応や変化について、《まなぶる》の科目責任者である光成研一郎先生(教育学部 こども教育学科長 教授)にお話を伺いました。
――まずは、光成先生のキャリアのことから伺ってもいいでしょうか。
光成先生 僕は大学では英文科。卒論のテーマは『ハックルベリーフィンの道徳的成長』。『トムソーヤの冒険』と比べられることもありますが、こちらはハックルベリーフィンという浮浪児の白人が、ジムという黒人と旅をすることでいろいろなことに気づいて、人間として成長していくという物語です。ハックルベリーのほうが文学的な深みがあるという比較も含めて卒論にまとめたのですが、そのあたりから大学院は教育学に入っていくことになったんです。父も大学の教員をしていたので、環境的な影響もあったかもしれませんが。
――大学院では何を専門にされたんですか?
光成先生 ジョン・デューイというアメリカの経験論の教育学です。僕は学部で教職科目は取っていましたが、教育学的なことを深く学んでいたわけではなかったので、授業で教えていただいた先生から、まずはオーソドックスな人のことをやっておこうということで選んだんです。
デューイは「反省的経験」といって、リフレクティブなふりかえりや、見通しをもった経験が一番優れた経験であるとしていました。衝動的、偶発的といった場当たり的な経験でも、それを経ることで見通しがきくようになっていくから、それを子どもに体得させることが重要ではないか、という考え方です。いま、ラーニングバリューさんと一緒にやっている《まなぶる》と同じで、学生が自ら活動して学び、後からふりかえるのがすごく大事だということなんです。
ただ、そのふりかえりの方法が難しいんですよね。ふりかえりをしないから全然学びに繋がらなくて、経験主義はどんどん廃れていきました。 最近でも例えば「総合的な学習の時間」などで少し経験学習のほうに動きだしましたが、教科書が薄くなって「ゆとり教育」の批判なんかも起こり、また揺り戻しになりました。その批判の原因は、それこそリフレクション(ふりかえり)の欠如ではないかと思っています。
――私が光成先生に最初にお会いしたのは防災教育のGPに取り組んでいた2015年頃だったと記憶しています。
光成先生 本学が地域連携に力を入れるために、長田区の防災をテーマにしたGPを取った時ですね。僕は“防災”は専門ではないですが、専門職は震災発生時などのいわゆる非常時に、自らなにができるか考え、行動できることが求められます。だからそのための教育プログラムを考え、他大学の学生と学ぶことにも取り組みました。
またその時は准教授でしたが、事務局の次長と兼務してたんです。珍しいことだと思いますが、大学の今後のことを考えると事務のこともわかっているほうがいいと言われ、教員とのパイプ役のようなことをやっていました。おかげで学生と地域を結びつけることに、事務局と教員の両方から関わることができました。
――その時の経験で、いま活かせていることはありますか?
光成先生 “教員の専門”ではなく、“大学”が地域とつながりをもつことが重要、という考え方でしょうか。教員が異動してしまって、「あの先生がいなくなったら相談に行けない」となってしまわないように、その教員がいなくなっても代わりの教員が対応できるような体制をつくることを事務局で経験させてもらいました。
――2015年に「教育イノベーション機構」が設置され、教学改革が本格化しましたが、そのことには関わっていたのですか?
光成先生 教育イノベーション機構には直接は関わっていませんが、学長補佐と教務委員長という立場でカリキュラムのスリム化やシラバスの改定に関わっていました。
うちの大学は専門職養成の学科ばかりで、養成機関としての指定規則があるので、各学科でカリキュラムを立てていました。そのため看護学部と教育学部の心理学は全然違う先生がやっているなど、分断されているところもあったんです。そんな中、学長補佐という立場を拝命したので、学科長にお願いして、学科に横串をさして、教養部分を基盤教育として全体で行うことにさせてもらうことにしました。
ですが、学科の枠を取り払うには難しいこともいっぱいありました。みんな口では「教養は大事」と言うし、頭では「専門学校と大学の違いは教養だから、広い視野を身につけさせたほうがいい」とわかっていても、実際は自分たちのカリキュラムの時間数が減ることも心配なので。最終的には「基盤教育をそんなに充実させて国家試験の合格率が下がったらどうするの」とか「誰が責任をとるのか」という話になってしまう。責任感があってまじめに考えてくれる人ほどそういう傾向がありました。結局カリキュラムのスリム化には2年くらいかかりましたね。
――2017年度には全学共通の基盤教育《まなぶる》が始まりました。初年度のプログラムを設計したのは、当時教育学部にいた若手の先生でした。
その時は光成先生もクラスを1つ担当されてましたよね。
光成先生 そうですね。最初の年は1クラスを担当しながら科目責任者も任されることになりました。僕の専門が教育学だったので、企画に携わる人はベースにそういうものがある人のほうがいいだろうという判断で任されたのだろうと思います。
――ちなみに、2016年度以前の初年次教育はどのようにされていたんですか?
光成先生 学科それぞれで行っていました。看護学部では早期体験学習で病院に行って現場を見たり、一般教養的な科目でレポートの書き方を学んだり。教育学部では、各界の専門家を招いて芸術文化論や自然科学を学ぶなど小中学校の「総合学習」のようなことをしていました。実は、《まなぶる》が始まる前にも、一科目だけ全学科合同でグループワークを行う科目も試行的にやっていたんですけどね。
――学科の垣根を外した全学共通教育をもっと広げたほうがいいと考えるようになったのはなぜですか?
光成先生 大学全体としての人材育成を考えたからです。学科ごとにディプロマポリシー、カリキュラムポリシー、アドミッションポリシーはあるものの、全学で共通するポリシーが無ければ、「神戸常盤大学は大学としてどんな人材育成するんですか」と問われても、それに答えるのは難しい、となってしまいますよね。
――大学に資格を取るために通うだけでなく、ここで学ぶ意義を感じてほしい、ということですね。
光成先生 社会では早期離職が問題になっていますが、神戸常盤大学の卒業生はイキイキと働いているね、現場を辞めずにしっかり働いて頑張っているね、と言われるような人材を育てたいと思っています。そのためには、資格を取らせるだけではなく専門職として働くための共通の資質を養っておく必要があります。本学で育成する専門職に共通して求められる資質といえば、対人関係能力やコミュニケーション能力、自分で考えて行動できる自立した力とか、チームで協働する力などです。なぜこれらが必要なのか、初年次で教育して、経験を共有するのが《まなぶる》のねらいなんです。
――そのねらいはみなさんに伝わったのでしょうか?
光成先生 まなぶるの初年度は、そのねらいを徹底できず、学生も教員も「なんでこれせなあかんの?」と思わせてしまった面がありました。カリキュラムにあれもこれもと入れ込みすぎて系統的なものになってなかった面もありました。教員にも国家試験のことを考えている人や、冷ややかに見ている人もいましたし。
僕らは、《まなぶる》は一見遠回りに見えるけれど、学び方を学んでいたら国家試験にも対応できる力がつくと思っているんです。まだ《まなぶる》を受けて国家試験を受けた学年がいないので、結果も出ていないので何とも言えないのですが…。ただ、学科をシャッフルしてグループワークを行ったり議論したりするのは、専門バカにならないよう視野を広げる一つの手立てかなと思っています。早い段階から他の専門職の視点や価値観を共有できる教育があるのは大きいのではないでしょうか。だから2年目以降は、これらを学ぶ意義を、学生にも教員にも徹底して伝えるようにしています。
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